Story

いかにクボタエンジンが

世界規模で選ばれるようになったか

クボタの鋳物技術と機械技術から誕生したクボタのエンジンはその後、自社の農業機械や建設機械などに搭載、さらに外部の産業・機械メーカーに提供するに至り、今では汎用エンジン、とりわけ小型産業用ディーゼルエンジンのリーディングカンパニーとなりました。

なぜ、クボタがエンジンをつくり始めたのか、そして、なぜ、クボタのエンジンが世界中のメーカーから信頼されるようになったのか、さらに、未来にどのような展望があるのか、それらの秘密を探ってみましょう。

  • 誕生前夜

    因島の大浜村(現在の広島県尾道市因島大浜町)に生まれ、14歳で大阪へ出てきた大出権四郎が、鋳物屋で修行を積み、19歳で「大出鋳物所」(クボタの前身)を創業しました。権四郎が始めた小さな鉄工所は、努力と試行錯誤、研究開発、イノベーションによって、やがて国内で有数の水道用鉄管メーカーとしての地位を確立しました。水道用鉄管メーカーであったクボタが、なぜエンジンをつくりはじめたのか?そのストーリーを少しだけ紐解いてみます。

  • 1922 -

    なぜ、クボタがエンジンを
    つくり始めたのか

    水道用鉄管メーカーとして地位を確立し事業を拡大していったクボタは、新たな事業を模索していました。参入した自動車製造にも不振が続き、打開策を検討していました。さらに、第一次世界大戦後の不況と日本を襲った干ばつは、国内の産業にも農業にも大きな打撃となっていました。そんな頃、クボタに大きな転機が訪れることになります。

  • 1930 -

    ディーゼルエンジンとの出会い

    1930年(昭和5年)、ドイツのボッシュ社から6~75馬カ・7機種の製造権を入手。このディーゼルエンジンは、主として揚水ポンプや製材機の動力として用いられ、船舶用には50馬力以上の高馬力が使用されました。このディーゼルエンジンとの出会いがその後のクボタをさらに躍進させていきます。

  • 1950 -

    戦後の復興とともに

    終戦から数年後、日本経済は終戦直後の混乱から立ち直り、自由競争の時代へと突入していきます。特に、食糧増産に役立つ発動機は重宝され、その需要は爆発的に増加しました。クボタもまた、日本の産業を支える「心臓」となるエンジンの製造を再開します。

  • 1970 -

    農業の進化とともに

    1972年(昭和47年)、世界的な食糧危機をきっかけに、農機の需要が急増。特に、トラクタ・コンバインなどの新規需要が高く、「トラコン時代」が幕を開けました。クボタの農機は、操作性の良さや信頼性などから爆発的な人気を博しましたが、それを支えたのがその心臓部であるエンジンでした。

  • 1980 - 1989

    農機市場の成熟化

    トラクタ・コンバインの普及とともに、農機市場は成熟化しました。また、第二次減反政策により、麦や大豆などの転換が奨励され、農機の新しいニーズが発生。多様化する農家の要望に合わせ、クボタはエンジンのラインナップを充実させ、これに対応します。

  • 1990 - 2000

    環境規制の強化

    高度経済成長とともに発生した公害問題、そして日本だけでなく、世界的規模で取り組むべき問題となった地球環境問題。各エンジンメーカーは厳しい規制に対応していく中、クボタも業界をリードする立場から、地球の未来のために率先して対応していきます。

  • 2001 -

    厳格化する規制、
    多様化する新たなニーズへの回答

    21世紀を迎え、産業用エンジンへの環境規制はさらに厳しいものとなっています。また、同時に多様化する産業機械メーカーのニーズに対し、クボタエンジンはあらゆるソリューションを提供していきました。

  • FUTURE

    さらに世界が注目する
    クボタのイノベーション

    クボタのエンジンが支持される理由のひとつに、常に進化し続けるイノベーションの積み重ねがあると考えます。それは製品開発、研究、調査、試験ももちろん、製造工程や、環境規制への対応など、市場や世界情勢、社会課題などについて常に未来をみつめる「視点」にあると思います。その大きな課題のひとつが「カーボンニュートラルの実現」に向けた取り組み。これまで世界各地域の環境規制に先駆けてきたクボタは、さらなるイノベーションによって「持続的な社会」と「社会の課題解決」に取り組んでいきます。