そのはじまりは
農業の動力源
戦後に日本を襲った干ばつからクボタの農工用石油発動機が急速に普及
日本で初めて石油発動機が農業用に導入されたのは1915年(大正4年)。米国からの輸入品であったとされています。
その後、脱穀・籾摺・揚水用の動力源として、日本の農家でも米国製発動機が次第に用いられるようになりました。
クボタの農工用石油発動機製造は1922年(大正11年)に遡ります。
折しも西日本を襲った大干ばつにより、揚水用ポンプと合わせて石油発動機の需要が高まり、急速に普及。
大戦後の反動で景気が悪化し、主力事業の機械部門に替わる強みを模索していたクボタは、ポンプ販売店であり輸入発動機の代理店であった杉山商店から打診を受け、国産発動機の製造を開始しました。
またたく間に業界の中核をなす存在に
創業以来の高い鋳造技術、そして機械部門の生産設備や製造技術を活用し、本工場の倉庫の片隅で発動機の開発を進めました。
国産品ならではの低騒音やサイズを追求し、 1923年(大正12年) 、「農工用発動機A型3馬力」を発売。かんがい用ポンプや籾摺機の動力として順調に売り上げ、販売機種を拡大します。
1927年(昭和2年)にはドイツのボッシュ社製マグネトとプラグを使用した漁船用エンジンを開発しました。販路を広げるなど、順調に成長を続けました。
水道管鋳造で培った技術を活かしたエンジンは博覧会や比較審査の場で高い評価を受け、後発にも関わらずクボタはまたたく間に業界の中核をなす存在となりました。
クボタの鋳造
技術が活きる
「中空ケレン」
コンパクトでありながら高出力。クボタエンジンのこの相反する特長を両立させている技術のひとつが、鋳物の技術である「中空ケレン」です。
高熱が発生するシリンダー全体を覆い、冷却させるための水路は、一般的にはドリルで加工されます。この方法は金属を削る作業となるので品質にもばらつきが生まれます。
しかし、クボタは鋳物で最初から水路をつくることに成功しました。金属を削るのではなく、最適な水路を鋳物でつくるため、非常に堅牢で高い冷却効果を得ることができ、コンパクトで高出力なエンジンを実現しています。
設計段階から鋳物製造部門と協力体制で取り組んだ「中空ケレン」は、鋳物がその事業の発祥であるクボタ創業当時の息吹が感じられる技術のひとつです。