バジャジ・オートとは
バジャジ・オートとは、1926年に設立されたインドの二輪車や三輪自動車のメーカーです。
ジャムナラル・バジャジが創業したバジャジ財閥の中核企業です。おもに、スクーター、バイク、三輪自動車を製造しています。
三輪自動車メーカーとしては世界最大。さらに二輪車販売台数では、1位ホンダ(日本)、2位ヤマハ(日本)、3位ヒーロー・モトコープ(インド)に次いで、ハーレー・ダビッドソンやBMWを凌ぐ世界第4位(2020年)という規模のメーカーです。
さらに、バジャジ・オートはイギリスの二輪車メーカー「KTM」の筆頭株主であり、2020年には同じくイギリスの「トライアンフ・モーターサイクルズ」とのグローバル・パートナーシップを締結するなど、世界から注目され、さらに飛躍が期待される二輪車メーカーでもあります。
三輪自動車といえば、タイなどの東南アジアで「トゥクトゥク」という名前で知られるものが有名ですが、バジャジのものは「オートリキシャ」という三輪自動車で、トゥクトゥクとは全く別のものです。
三輪自動車のおもな輸出先はスリランカ、メキシコ、バングラデシュ、コロンビア、ペルー、エジプト、イラン、インドネシアなど。世界50カ国に販売ネットワークを持っています。
バジャジのオートリキシャは、乗用タイプと貨物タイプのものがあります。
さて、この可愛らしいルックスのオートリキシャとクボタエンジンの関係はどのようなものだったのでしょうか。歴史を紐解いてみましょう。
バジャジからのラブコール
1990年代ごろまで、バジャジ・オートの三輪自動車は空冷2サイクルエンジンというバイク用のエンジンを搭載していました。
しかし、そのエンジンでは、やがて実施される排ガス規制への適応は難しく、自社のエンジン製造技術の改善を図る必要に迫られていました。いまのままでは排ガス規制をクリアすることは難しいと、バジャジ・オートは、大きな危機感を抱いていたと思われます。
そこで、バジャジ・オートは技術提携できるエンジンメーカーを探し、あらゆるメーカーのエンジンを比較検討した結果、排ガス規制のクリアと燃費の向上、さらには静粛性といった特長から、クボタのOCエンジンに白羽の矢を立てました。
1993年、クボタはバジャジ・オートの技術部門のトップから直々に「OC95エンジンの技術を使いたい」というオファーを受けました。
バジャジが注目したOC(Oil cooled)エンジンとは
世界最大の三輪自動車メーカーであるバジャジ・オートがラブコールを送ったクボタのOCエンジンは、1988年に開発された小型ディーゼルエンジンで、空冷でも水冷でもなく油冷冷却方式を採用しています。
クボタが独自に開発した燃焼室であるTVCS(渦流式間接噴射方式)を搭載しているACTV方式の単気筒ディーゼルエンジンは、音の発生そのものが少なく、刺激臭の少ないクリーンな廃棄のTVCS燃焼方式を採用し、燃焼室まわりにオイルを巡回させ、燃焼時に発生する高熱をオイルに吸収し、オイルクーラーで放熱させ、冷却したオイルをクランクケースに戻す画期的な方式をとっています。
さらにシリンダーヘッドまわりに油層をつくる二重構造により、燃焼音を吸収。外部排出音を減らし、TVCS燃焼方式との相乗効果で、空冷ディーゼルと比べ騒音を抑えることが可能となりました。
バジャジ・オートは、インドの排ガス規制への適応、燃費性能などにおいて、クボタのOC95が適しているということからこのエンジンを使いたいと「指名」してきました。
また、三輪自動車はタクシーとしても活用されるため、静粛性も重要と考え、直噴ではなくIDIが好まれたという事情もあったそうです。
OEMではなく技術提携
バジャジ・オートの三輪自動車には、乗用(Passenger)と貨物用(Goods Carrier)の2種類があります。また、ガソリン、ガス、ディーゼル、電気などを動力とした多彩な製品展開をしています。
クボタとバジャジ・オートはこの三輪自動車に搭載するディーゼルエンジンの開発について、1997年から「技術提携契約」を結びました。
エンジンそのものはクボタが製造するのではなく、バジャジ・オートが自社で製造するため、クボタはOC95を三輪自動車へ搭載するための設計と設計図の提供、および量産体制のためのサポートを行うという内容からスタート。
さらに、2000年から段階的に施行されたインドの排ガス規制に対応するため、クボタとバジャジ・オートとの技術提携契約は、最終的には2013年3月まで、足掛け15年半の長きに渡ることになりました。
1回目(1997年12月~2004年9月)
OC95エンジンの設計・生産サポート
2回目(2004年10月~2008年3月)
インドの三輪自動車排ガス3次規制であるBS2(Bharat Stage II)対応
3回目(2008年4月~2013年3月)
インドの三輪自動車排ガス3次規制であるBS3(Bharat Stage III)対応
発電機やポンプのエンジンを三輪自動車用エンジンにカスタマイズ
1997年から始まったバジャジ・オートとクボタの技術提携のミッションは「三輪自動車用のエンジンとしてOC95の技術をベースにしたエンジンを自社製造で生産すること」でした。
クボタのOC95は発電機、ポンプ、バックホーなどに使われていたエンジンであり、走行するための自動車用エンジンではありません。
バジャジ・オートの三輪自動車の車両に搭載するためには、トランスミッションと直結させるために取り付け方などを詰める必要がありました。
また、三輪自動車は転倒しやすい乗り物ですから、転倒した場合でもエンジンが安全に停止するように、ブレザー機構を改良するなどの仕様変更が必要となります。
そして、クボタが設計した「バジャジ用のOC95エンジン」の設計図面をもとに、バジャジ・オートが自社の工場で生産するためのサポートを行いました。クボタの生産技術のノウハウを、オーランガバードにあるバジャジ・オートの製造部門に導入するなど、量産体制のためのサポートを行いました。
さらに、エンジン性能カーブの作り込みや、製造に関連した部品の評価なども行うなどのエンジンチューニングを行ったり、バジャジの製造部門のキーパーソンを臨海工場に招いて研修を行ったり、クボタの技術者がオーランガーバードの工場で直接指導を行うなど、きめの細かいやりとりを幾度となく行いました。
インドと日本、文化の違いはあれど、クボタとの技術提携により、バジャジが生産するOC95搭載の三輪自動輪車は完成し、市場にも高く評価され、売行きも好調だったそうです。
産業機械用エンジンとは異なる排ガス規制との戦い
1回目の契約(1997年12月~2004年9月)のあとも、クボタとバジャジの技術提携の関係は続きました。
2回目(2004年10月~2008年3月)、3回目(2008年4月~2013年3月)の契約については、段階的に強化されるインドの排ガス規制への適合がおもなミッションだったそうです。
2000年にインド政府が初めて導入したBharat Stage排ガス基準(BSES)は、自動車を含む内燃機関・火花点火エンジンからの大気汚染物質の排出を制御するための規制でした。
車両によって内容や施行時期は異なりますが、クボタとバジャジ・オートの技術提携の契約期間では、BS1(Bharat Stage I)からBS3(Bharat Stage III)までの規制適応が対象となりました。
クボタは世界で初めて25馬力未満の米国カリフォルニア州(CARB)1次規制を1993年にクリアしました。その後の欧米および日本で展開が進められているオフロード排ガス規制に対しても、クボタは常に業界をリードした対応を図っています。
その経験を活かせばこのインドのオンロード排ガス規制への対応は簡単に思えるかも知れませんが、三輪自動車の排ガス規制は産業機械の排ガス規制とはいくつかの異なる条件があり、これまでのクボタの経験とは異なるアプローチが必要でした。
三輪自動車の排ガス規制は「エンジンを車両に搭載した状態での排ガス適合」が求められます。エンジンそのもののメカニズム設計に対する改善を行い、さらに車両全体の排ガス規制の数値をクリアすることが求められます。
そのためにエンジンのベンチテストをこれまでと変えていく必要がありました。
クボタのエンジン性能測定ベンチ上で車両搭載状態の走行シミュレーションを用いてエンジン単体の排ガスチューニングを行った後、実際に車両にエンジンを搭載した状態で排ガスの本番テストを行います。このテストはインド国内の認定機関から承認を受けた設備での実施のみが認められるため、クボタの技術者が実際に現地に赴き、テストを行う必要がありました。
さらに、そのテストの方法もなかなか困難だったそうです。
バジャジの三輪自動車のトランスミッションはマニュアルしかありません。オートマではないので、人の運転の仕方でもベンチテストの結果が変わってしまい、ばらつきが多く、苦労したそうです。また、三輪自動車のトランスミッションの操作が独特であり、少しでもギアチェンジのタイミングがずれるとスピードがのらないなど、テストを行ううえでもなかなかスムーズにこなすことは難しかったそうです。
したがって、事前のシミュレーションで良い結果が出ても、現地のテストでは期待した結果が出ないというケースも多かったそうです。
最も過酷とされたインドのBS3排ガス規制とは
三輪自動車の排ガス規制であるBS3(Bharat Stage
III)といわれる3次規制は、これまでと比べものにならないほどの厳しい条件をクリアしなくてはなりませんでした。
BS3は、BS2に対して、排ガス成分(NOx+HC、PM)を半分、さらに車両の重量も重くして評価しなさいという非常に厳しい内容でした。これらをすべて達成するのは、当時の世界の他の地域の規制と比較しても大変難しいという条件だったそうです。
まず、排ガス成分である「NOx+HC」と「PM」は、どちらかを減らすともう一方は増えるというトレードオフの関係にあり、両方を同時に減らすのは困難です。
また、車両の重量が増えるということはエンジンに対する負荷が増えるので、排ガスの排出量も増えるということになります。
さらには、排ガスを測定するときに、(当時は世界でも少なかったのですが)コールドスタートでやりなさいということでした。暖気した状態で測定するのであれば、排ガスは出にくいのですが、一昼夜寝かした状態から測定すると必然的に排ガスの量は増えることになります。
これらの、いわゆる三重苦を背負った状態からの規制適合は、排ガス規制対応としてはこれまでで最も厳しいものの一つで、クボタの技術者をもってしても「見通しは暗い」と思わざるを得ませんでした。
しかし、これはクボタにとっても非常にチャレンジングな内容です。
期間までに達成できるのかという不安もありながら、バジャジ・オートのために取り組むことを決意しました。
あらゆる可能性を、ひとつひとつ丁寧に
クボタが自動車用(オンロード)の排ガス規制に取り組むのは初めてではありません。
フランスの乗用ミニカー、エグザムのものに次いで2例目です。しかしエグザムは軽負荷で使われる乗用車タイプの排ガス規制であり、バジャジ・オートの三輪自動車は全負荷で使うなかでのエンジンチューニングが求められます。
独自の対応でトライ&エラーを繰り返すしかありません。三輪自動車をBS3に適合するための開発ポイントとして30数項目を考え、日本での設計・試作と現地でのテストを繰り返し行っていきました。
排ガス定常モード測定から机上で考えられる世界と、過渡走行時の燃焼の世界との違いは想像もつかないものだったといいます。30項目のうち、実際に採用した開発ポイントは14、 5項目だったそうです。
さらに、インドの公的排ガス検査機関は海抜約620メートルの高地にあります。それを海抜ゼロメートルの日本で開発することのギャップをどのように埋めるか、まさに手探りの状態で、あらゆる手段を試していくという開発となりました。
車両ベースでの排ガス規制は、実際に試してみないとわかりません。失敗しながらでも必ずゴールは見える!という気持ちで、日本とインドを何度も往復し、ひとつひとつの課題に対し、丁寧に取り組んでいきました。
当時の横形ディーゼル担当部署の技術メンバーは10名。この10名で情報連携を行い、アイデアを出し合いながら、開発を進めていきました。さらにこのとき、この部署ではインドのBS3だけでなく、同時期に日本、タイ、インドネシアのそれぞれの開発課題にも取り組んでいたというのだから驚きです。(なお、インド向けのチューニングが最も厳しかったそうです。)
試行錯誤は続きますが、残酷にも期限は迫ってきます。期限までに、バジャジから段階的にいくつかのゲートを敷かれ、その目標数値をクリアしながら開発とテストを進めていきました。
いよいよ最後の最終ゲートでは「量産エンジン10台を対規制値NOx+HC85%以下、PM75%以下でクリアする」という課題がありました。関係者一同が固唾をのみ込んで見守る中、この最終ゲートを10台すべてが余裕の数値でクリアしました。このとき、バジャジ・オートの技術幹部から「エクセレント!」という言葉をいただいたそうです。
今日も世界のどこかで
BS3をクリアした後、2013年3月でクボタとバジャジ・オートとの契約は完了しましたが、いまでもクボタの技術のDNAが引き継がれたエンジンが活躍しているそうです。
インドのビジネス文化は日本のそれとは異なるといいます。バジャジ・オートは欧米風のドライで洗練されたスマートなビジネススタイルだったそうです。技術部門においても欧米風の分業制が徹底されており、日本とは異なる文化も感じられたそうですが、技術者同士でお互いのプライベートな話題から心を通わせるような関係も築き、ビジネスを超えた信頼関係も育まれたといいます。
環境規制は厳格な数値に対する成果が求められます。
しかしその数値の背景には、劇的なイノベーションやソリューションがあったのではなく、数々の努力と絶え間ない試行錯誤、地道なやりとり、そして、日本とインド、お互いの信頼関係など、さまざまな数値化できない物語が紡がれていました。
クボタのレガシーを引き継いだバジャジ・オートの三輪自動車(デイーゼル版)が累計市場投入数100万台を優に超え、今日も世界のどこかの町で、人を乗せ、荷物を運び、笑顔を届けていることでしょう。